最近の近況について、書道(もどき)を披露しつつお話しできたらなと思います。
父は昔から、リビングに投げ捨てられている私の書いた作品を拾い上げてじっと眺めては、捨てるに捨てられなくなって自分の収納にそれらをしまい込む。それを知っているので、私は父に書いてあげることにした。
(母はすぐに捨ててしまうからそれはあまりにも悲しいから)
父にどんな言葉を書いてあげようかと悩んで一秒、これしかないと思った。
父は自主定年した後に飲食店でバイトを始めたのだが、持ち前の不器用さで四苦八苦している。
ある日、唐突に「仕事を辞めたい。明日店長に言ってくる」と言い出すので、理由を尋ねてみると「ソフトクリームがうまく作れない」という。
ソフトクリームの、あの渦巻きがうまく作れない、ということだろうと推測はできた。
大変失礼だが、還暦を過ぎての悩みタネがソフトクリームをうまく作れないというのはいささか可愛すぎやしないか。
「二回も失敗して無駄にしてしまった。見かねた店長が代わってくれたけど、もうおれはクビだよ」
「本当にクビにされるの?」
「うん。あれは間違いなくされるね」
「じゃあ自分からわざわざ言わなくても、クビって言われるのを待っていればいいんじゃない」
「いや、クビって言われる前に自分から辞めたいんだ。恥ずかしいから」
なるほど。たしかに。
「これまでサービスエリアとか観光地で何気なくソフトクリームを注文していたけど、父は綺麗な形で出てくることに慣れっこになっていたよね。形が崩れたやつが出てきたとき、今までの父だったら、なんだこれ〜って店員さんに聞こえるくらいの声で囃し立てて笑ったよね」と私がいう。
「うん」と父が答える。
「今はどう?ソフトクリームを作るのが難しいとわかった今、どんな気持ち?」
「すごく……ありがたいことだと思って、同時に作る人を尊敬します」
「形崩れたやつを出されたら、どうする?」
「お腹に入れば一緒ですからこれで大丈夫ですよ、と朗らかに笑って受け取ります」
感動した。還暦を過ぎたとしても、人間、実際に経験をして苦労を味わうと、性格を改めることができるのだ。
そんな父は、職場で新人イビリの酷い人から度々意地悪をされるらしく、家に帰ってからその人の悪口をいうときに必ず出る言葉。
「普通にカッコ悪い。敬語を使うのに年齢が上だからとか下だからとかないから。社会人として他人と話すときの最低限の礼儀だから」と妹に叱られていた。
こちらは父の好きな曲からインスピレーションを受けて書いた言葉。妹に「最後の尻すぼみになっている"げ"の文字が良い」と言われた。むこうみずに漕いでいる感が出ているらしい。
続いては、その時ふと頭に浮かんだ言葉を書き出したもの。
文章しかり書道しかり、書きさえしなければ下手ということが明らかになることはない。それでも書くのだから面白い。
私はよく感銘を受けた他者の言葉だったり、天啓のように脳内で閃いた言葉をこうして書き殴ってはせっかくだから目のつくところにと、壁に貼っている。動画内で映り込んだそれを不思議に思っている方もいらっしゃって、何だか申し訳ないと思っていた。自己に宛てた戒めなので、特にメッセージは込められていない。
先日、家族以外の人が私の部屋を訪れたとき、恐る恐るといった口調で「新興宗教にのめり込んでいる人の部屋かと思いました」と述べた。誤解とはいえそれはよろしくないと一度すべて外そうとも思ったが、自分の部屋なのに自分以外の視線を気にしてどうするんだ、と自分で自分を叱責した。
「自分のことだけ考える」は好きな力士がインタビューで答えた言葉だ。文字面だけなぞると「自己中心的に生きよ」だが、決してそのような意味ではなく、負けられない試合において、対戦相手によって出方を変えるのではなく、どんな相手であっても、自分が鍛錬した技で試合に臨むという心意気を表している。稽古と自分を信じて力を出し切れば、迷いは生じない。
「自分の言葉で進みます」は、最近よく痛感すること。誰かが有難くも説いてくれる綺麗でまとまった言葉は、単純な私をすぐに納得させ、同時に前に進ませてくれるような気がするが、実際のところは何一つ進めてはいないのでは、と不安になる。やる気だけがから回って、その場で足踏みしている。そして、自分の頭を酷使していないから、時間の経過とともに、あるいは肝心な時にすぐに忘れる。ごちゃごちゃで支離滅裂な自分の頭の中にある、見えそうで見えない真実を見ようと目を凝らし、あれこれ言葉を尽くしても、いまだ正体が判然としない状況にじれったくなって、思わず前のめりに踏み出してしまったつま先の数センチ。その分しか、そしてその方法でしか、真の意味で自分を現在地から動かすことはできない。そんな気がしている。
最後のおまけ。これは妹が書いたやつ。